江藤峰義
江藤 峰義(えとう みねよし、1939年(昭和13年)1月21日 - 2015年(平成27年)12月16日)は、日本のジャーナリスト。大分県出身。
日本で政治記者をした後、 2003年(平成15年)中国上海市に移り住み、複数の現地日本人向けフリーペーパーの発行に携わった。2006年(平成18年)、上海双信広告有限公司の総経理になり、中国進出企業向けの展示会・展覧会情報誌『EVENT CHINA(イベントチャイナ)』(1万5千部、68頁)を創刊したが、2008年11月号(第25号)をもって休刊した。2009年(平成21年)、上海ワールドフィナンシャルセンター29階に設けられた上海環球金融文化メディアセンター(上海環球金融文化伝播中心)の総経理に就任。同年、日本語コミュニティ誌『Marco(マルコ)』の創刊号を編集し、2年目から監修として関わった。2014年(平成26年)から同誌の最高顧問となり後進を指導した。2015年(平成27年)12月16日、胆管ガンによる衰弱により東京都の病院で死去した。
国際交流活動:
2008年(平成20年)ビジネス塾国際倶楽部(通称:516)の主宰(代表)になった。同会は2005年(平成17年)中国ビジネスを勉強する会として上海に設立され、毎月1回定例会を開いていた。当時、江藤が総経理を務める上海双信広告有限公司の中に事務局を設けており、約80名の会員が登録していた。約8割が日本人であり、その大半は上海に拠点を置く日系企業の董事長や総経理など役員だった。講師に在上海日本国総領事館領事、野村綜研(上海)諮詢有限公司総経理、復旦大学教授などを招き、定例会では中国社会の実像を多角的に考察していた。
2009年(平成21年)、中国華東地域を視察する機会が増え、『日中地域交流フォーラム』に名称変更した。同フォーラムが中国の各地域に赴き、現地での交流を通じた勉強会にしたいという目的があった。日本語コミュニティ誌『Marco(マルコ)』は、同フォーラムの準会員誌の位置付けとして隔月で発行した。有志会員から協賛金を募り、フォーラムの活動などを誌面で紹介し、新会員を募る広報の役割を持たせていた。
2010年(平成22年)8月『日中地域交流会』に再び改称した。フォーラムという名前では団体に見えず、視察会の訪問先で説明しにくいためであった。この時の新年度計画は、①日系企業中国進出を取り巻く諸条件、②2010年の上海万博の跡地利用計画、③浦東の新農業園区視察、④日本駐在の上海市政府要員が見た日本経済、⑤中国経済の先行き、バブル兆候と崩壊、⑥ツムラ工業見学であった。
同会の活動内容は、主宰の江藤がほとんど一人で決定していた。メディアで定着した中国全体へのイメージを取り除き、直接現地で見たものを信じるべきとの姿勢を前面に出していた。2015年(平成27年)12月に江藤が死去したことで、同会は2016年(平成28年)6月の定例会をもって11年の歴史に幕を下ろした。
脚注・出典
- 『EVENT CHINA』2008年8月号(第24号)、中国工商指南雑誌社, 2008、p40
- 『EVENT CHINA』2008年11月号(第25号)、中国工商指南雑誌社, 2008
- 『Marco(マルコ)』2009年11月号、上海中日情報センター(上海環球金融文化メディアセンター日本部門), 2009、p9
- 『Marco(マルコ)』2010年9月号、上海中日情報センター(上海環球金融文化メディアセンター日本部門), 2010、p7
- 『Marco(マルコ)』2011年9月号、上海中日情報センター(上海環球金融文化メディアセンター日本部門), 2011、p6
- “日中地域交流会6月の例会のご案内(6月22日) ”. 日中地域交流会. (2016年6月8日)
- “訃報 当会主宰江藤峰義氏逝去の件 ”. 日中地域交流会. (2015年12月20日)